ameko

雨が降っていた。
その日出会った、俺と彼女は。

 学校の帰り道。
「傘、ないの?」
雨傘を差した少女が立っていた。
俺はずぶ濡れだった。

 「入りなよ。送ってあげよう。家まで。」
俺は躊躇う。同級生の女ともそんなに話さない俺だ。
いきなり女子に声をかけられて、それで一緒に傘に入ろう。
そういう提案をされている。
そんなものは、躊躇うだろう。
「いや、いいっす。もうすぐ家ですから。」

「噓つき、入りなよ。暇なんだ。」

「なんなら傘をあげるよ。それならいいのかい?」

「いらないならこの傘はここに置いていく。
……私は、濡れて帰る。君も濡れて帰る。
もしくは、君は濡れて帰らない。そうしよう。」

しつこい女だ。俺はもうずぶ濡れだ。
言ってることもよくわからない。
そして、無意味だ。
しかし俺は俺の良心に従った。

 傘を差して、二人。
レインコートに見知らぬ制服。
髪は肩まである。艶やかな黒髪。
いい臭いがする。少し。
近くに感じる少女は儚げで、
なにか、寂しさを感じる。
そして懐かしさを感じた。


「あんた、俺の友達に少し似てるんだ。」

「へぇ、そうなんだ。」

雨は強く傘を打ち付ける。
「君、名前は?」
少女が尋ねる。
「上水流……。」
俺はなんとなく偽名を答えた。
ふと頭に浮かんだ名前。
そう、この女に似てる友達の名前。

「ふふ、かみずる、珍しい名前だね。」

「どんな字を書くのかな、ふふ」

「ふふ…くふふ……。」

なにがおかしいんだ。
俺はすねてそっぽを向く。
こいつはむかつく。
やっぱり上水流とは違う。

「あんたはなんなんだよ。」

「聞いてどうするの?」

「名乗ったら名乗るのが道理だろ。」

「それもそうだ。」

 二人は雨の中、立ち止まった。
信号。横断歩道の前。

「雨子…。」

「は?」
女は答えた。偽名っぽい名前を。
は?俺は「は?」という気持ちになる。
俺の語彙力は結構あると自負してるが
ここではその感情に集約された。

「雨降ってるから?」

「本名だよ。ほんとさ。」

嘘っぽいが俺は詮索をしない。
俺も適当言ってるから、そういう罪悪感がある。

「そうだ、さっきの友達の話を聞かせてよ。
 私に似てるんでしょ。」

「ああ。」
トラックが二人の目の前を通り過ぎる。

「小学校のとき友達だったんだ。
そのあと中学にあがると同時にあいつは転校した。
それっきりだ。おとなしかったけど
知的っていうのかな。そういう雰囲気があって。
俺は気に入ってた。」

女は、雨子はふぅんと言って歩き出した。
雨は弱くなってきた。

歩く。雨子はべらべらとうるさい。
女はうるさいのだ。俺は小学校でそういう知恵を得た。
それ以来、少し苦手だ。

「雨って空気抵抗で形はいわゆる水玉じゃないんだよ。」
「円形の虹をみたことある?私はあるよ。」
「このまえアカハライモリが雨上がりに道で死んでた。」

俺の近所の田舎道に差しかかる。
パラパラと弱小な小雨になっていた雨は既に止んでいた。
「じゃ、あんがとさん。
俺の家はすぐそこだから。」

雨子が手を振りながら言う。

「またね。上水流くん。」

もう会わないだろう。
俺はそう思った。

「ああ、じゃあな。」

翌日、俺は普通に起床をした。
午前5時、庭の草に水をやる。
昨日は雨だったから少し控え目に。
母親が朝食を作っている。
俺は適当に近所をランニングしてから
朝食を食べ、登校した。

「今日は転校生がいまーす!」
担任教師はノリノリで発表をする。
軽い性格で生徒に人気があるが
俺はあまり好きではない、そんな教師。

「どうぞ、はいって~。」
教室、生徒たちがざわめく。

戸を開く、入ってきたのは男だった。
俺の知っている顔。上水流恵太。

「上水流です。長崎から来ました。
 昔この辺に住んでいました。よろしく。」

俺の顔はきっと少し綻んだ。

ホームルームが終わる。
ごたごたと上水流の周りに生徒が駆け寄る。
高校になってばらけたが。
同じ小学校だったやつもいる。

俺も駆け寄りたかったがやめておいた。

一限目が終わる。小休止、小さい休み時間。
俺はトイレで声をかけられた。

「や、錆川くん。僕、覚えてる?」

「上水流。待ってたぜ。元気かよ。」

上水流は成長していたがすぐわかった。
もちろん俺も成長しているが。

俺たちにはこういう信頼があると
高校生の俺は信じていた。
「元気だよ。いや、ぼちぼちかな。
クラス名簿をみたとき君がいて驚いた。錆川くんが進学校には入れるなんてね。」

「お前〜、俺を舐めるなよ。」
和気藹々としている。
上水流は知的で少し、生意気な皮肉を言ってそれで…
俺の頭に昨日の女の姿が浮かんだ。
確かに少し似てるかもな。
あまりよく見なかったけど顔立ちも
なんとなく似てるような気がしてきた。
「どしたの?考え事してる?」
「いや、昨日さ。」
言葉を紡ごうとした、そのとき
授業開始の予鈴がなった。

学校が終わる。帰宅だ。
部活動をしていない俺は
いつも家に直行する。
季節は6月。雨の多い季節。

傘の煩わしさが嫌いな俺はあまり傘の準備をしない。
その日も傘なしで、雨が降っていた。
俺は上水流を探したが見つからなかった。
玄関に立ち尽くした。
また濡れるのか。

「上水流くん。」
え、聞き覚えのある声だった。
俺を上水流と呼ぶその声は
「雨子…。」
「今日は濡れずに帰れるね。」
雨子は少し微笑んで、そう言った。

2度目。
俺は濡れたくないのもあるが
慣れからかすんなり相合傘をしている。
「お前、同じ学校だったんだな。
昨日は違う制服着てなかったか?」

「えーと。中学の制服なんだ。」
ふーん、俺は適当な相槌を打つ。
なぜだかこいつの言ってることは嘘だらけに感じる。俺の性分でもあるが。
あまりよくないな、こんな善意の少女を疑うのは。と思い改めることを意識する。

「そういえば、昨日言ってた友達が今日転校してきたよ。」

「へぇ、よかったじゃん。」

「今日は機嫌がいいのかな?
よく喋るね。」

会話も自然になっていた。
心を少し開いて、俺は似合わずよく喋った。
そういう日が、続いた。
梅雨の雨が終わらない、俺と雨子は。
きっと仲良くなっていた。

校内で雨子を探したが見つからなかった。クラスを回って聞いてみたが雨子という名前はなかった。
でもそれは偽名だから。そう考えた。雨子に本名を聞いてみる。なぜだか俺にそういう選択肢は浮かばない。
俺はこれでいいと。そう思った。

雨子はかわいいというよりは美しい。
知的な雰囲気は容姿とマッチしていた。
雨子が現れるのは雨の日だけだ。
俺は雨の日が待ち遠しかった。

その日は晴れていた。
俺はいつものように登校した。
途中で上水流と会って合流した。
上水流は昔住んでいた家に戻ったみたいだ。
上水流の家は古い和風なお屋敷で。
どうやら伝統のある家系らしかった。

「彼女のこと、好きなんじゃないの?」

上水流が言う。
体育の授業。上水流は体が弱くて体育をよく休んだ。学校にもぼちぼちの出席率だった。
また、よく早退した。俺は怠いからよく休んだ。

「俺が雨子を好き?
それは恋愛的にってことか?」
「そうだよ。」
俺は雨子を好きだが、欲情してるわけじゃない。雨子は魅力的だ。
でも別にどうこうなりたくはない。ただ一緒にいたい。上水流ともそうだ。二人に感じる思いは同じ、友達。

「彼女はどう思ってるかってこと。
そういうことさ。錆川くん。」
「えー…。」
雨子は俺と恋愛的に接しているのだろうか。そんなものはわからない。あいつは謎なのだ。
「錆川くんは恋愛を汚いものと捉えすぎだよ。性欲だけじゃないんだ。恋愛ってやつはさ。」
そうなのか。
でも雨子は…。
断続的だ。
雨子の存在は断続的なんだ。

「雨子はボーナスなんだ。」

俺なそういうと上水流はきょとんとしていた。上水流はその日の午後、ずっときょとんとしていた。

その日は3日ぶりに雨が降った。
7月上旬、梅雨が明けたか明けてないか。そういった季節。

「上水流くん。きたよ。」

「待ってた。傘、忘れてな。」

以心伝心、ルーチン。
俺は雨子がいなければ雨の日は帰れない。でも雨子は必ず来た。

「雨子はさ。俺のこと好きか?」

俺は大胆だ。
「好きだよ。恋愛的にも、友達としても…。」

俺は相合傘出歩く中、無言になった。
そうなのか。そうだったのか。
そうであってほしくなかった。
高校生の俺は男女の友情の成立を信じていた。16歳だった。

「俺とキスしたりしてもいいってこと?」

「君が望むならする。」

俺は恋愛とは無縁だと思っていた。
少なくとも俺の際限なき努力によってそれは達成されると思っていた。
しかし、今俺は女子から告白されている状況に近い。
俺は…俺はキスがしてみたかった。
雨子と。
頭に上水流の顔が浮かんでやめた。
これは裏切りだ。俺たちは友達だ。
今度、雨子を上水流に紹介しよう。
そして3人で帰る。
和気藹々と、そつなく。
俺の決心。

「雨子、名字を、本名を教えてくれ。
俺は謝ることがある。俺は上水流じゃない。偽名だ、はじめに嘘をついて引っ込みつかなくなって、それで。
俺は錆川秋助、一年一組出席番号12番。雨子、お前は…」

「そっか…。でも私も謝らないとね。
私も嘘をついてた。いや、隠していた。」
やはり、雨子は偽名だった。
雨子が雨子じゃなくなったとき、晴れの日も雨子に会えるのだろうか。
雨子が雨の日に現れるのはそういう言霊のジンクス、そう俺は思って納得していた。
「私はいや、僕は上水流、上水流恵太。」
雨子はこういう奴だ。
俺の素性を調べて上水流のことを知っていてこういう冗談を言う。
いやに真剣な顔をしているが、それも演技だろう。でも今は本当に正念場なんだ。

「ふざけるなよ。」

「ごめん…。」

雨子は走り去った。
雨子は、泣いていた。

俺は夜布団の中で考えていた。
名前を言いたくなかったのか。
真剣な場で冗談を言ってしまったことを恥じたのか。
その線しかないような気がした。

そういえば雨子の連絡先とか聞いてなかったな。そういうミステリアスなとこにも惹かれていたのかな。どうだろうな。

次の日は晴れた。上水流は休んでいた。上水流が休む日は一人で弁当を食べる。午後からは雨だそうだ。
雨子が来てくれるか心配だった。
こなかったそのときは、俺は罰の雨に打たれて帰る。俺は女を泣かせたことに罪悪を感じた。だから。

「おーい、錆川。上水流が呼んでるぞ。」

上水流が?今日は休みじゃなかったか?午後から登校したのか?俺は上水流が待つという校舎裏の庭に向かった。
紫陽花が咲いている。池には鮮やかな錦鯉が二匹いてカエルが泳いでいた。

数分待つと上水流が現れた。
空は曇り、今にも泣き出しそうな色をしている。
「なんだよ、どうかしたか?」

「来てくれて、ありがとう。」

「昨日のことは忘れて、これからも友達として付き合ってくれたら嬉しいです。」

何を言ってる?上水流が謎のことを言い出して、俺の思考は止まる。
雨は降り出す。ぽつぽつと。

「雨降ってきたぞ、戻ろうぜ」

「いや、これでいい。このまま、
僕をみて。」

見て、俺は見る。
上水流の姿が少し霞んで見える。
まるで蜃気楼のように歪んだ彼の虚像が彼女に見えた。
雨子。

雨が降る中、俺と雨子が立っていた。
俺は理解した。納得はしてないが、
俺の疑問は解けた。雨に流れて
わだかまりが消えた。

「なるほど。」

「そういうことだよ。僕は上水流。」

雨子は、上水流は雨の降るとき、
性別が変わる。男の上水流恵太は
女になる。そういう、体質、いや、呪いの類らしい。

「僕は、雨の日に女の子になっちゃう。代々、上水流家の男子は思春期の頃からそうなるらしい。
これは、呪いなんだけど、僕は女の子の時間が好きだった。僕は、弱いし、そういう免罪符が、心地よかった。
社会的な、免罪符さ。弱くてもいい。その時間が。」

だから。

「でも、僕の家は古い家系だから、女の子として生きるなら。婿入り。婿養子がいるんだ。
僕は君なら、いいと思った。君が好きだし。
悪い言い方をすれば君を利用しようと思った。もっと悪く言えば君を騙して丸め込もうとした。」

俺は、雨子が好きだし。上水流も好きだ。しかし俺は、俺はそのあと。
彼女にこう言った。

その声は激しくなった雨音にかき消され。
それから5年が経った。

俺は大学生だった。
そして俺の姓は上水流だった。

期限があった。
成人までに結婚。
雨子は、いや。恵。
これは上水流恵太の新しい名前。
恵は家を継いだ。
もともと細身だった恵は雨の降らない日も女装するようになった。
細部を除けば雨子にしか見えない。
俺たちは穏やかに、暮らした。
嘘から出た実。

俺は上水流になって、
雨子は消えた。
俺の伴侶、上水流恵になって。

雨子は今でも俺をからかうように上水流くんと呼ぶ。
俺はそのとき。